書籍・雑誌

2007年7月31日 (火)

名人危うきに遊ぶ「陶芸のふるさと」(白洲正子)

「人間は究極のところ、余技に生きることが本当のあり方なのであろうか、と。
-途中、略-
日本の芸術一般には素人的な要素があり、それが作品に余裕を与えるとともに、使う人達を参加させる余地を残している。不完全な言葉がより合って連なる歌を作るように、不完全な道具が集まってお茶の世界を形づくる。それが日本の伝統言うものだ。」

私はあるモノを作る趣味を持っています。まだ初めて5年目、思い通りに出来たものなんて一つもありません。ただアホになって続けるだけでもその趣味を通じて色々勉強させてもらっていると思ってます。

そのモノはひたすらバカ丁寧に作ってはダメなんです。気合入れすぎると小さくまとまった大人しいモノができます。大切なのは丁寧さと思い切りの良さとリズムです。もう少し違った言い方をすれば、緻密さと適度なイイ加減が納得いくモノを作るコツだと思います。そのバランスがうまいこといくと比較的納得行くものが出来ます。

(なんて偉そうに言っても手が追いついていきませんけど)

そして最後に作ったそのモノを使うということが大切です。使ってみて初めてわかる自分の拙さ、技術の未熟さ。謙虚でいられます(笑)

使う以外にも自分の作品に対して臆病がらずに周囲の人達に見せ反応を心に溜めることも大切な気がします。その反応は新しいモノを作る力になります。

結局一人でどんなに頑張っても良いものは作り出せないんですよね。

一方、お金を出してガラス越しに凄いと言われた作品をだけを見るのではなく、自分、親、友達、知人の素人の作るモノから色々な事を感じ取れる、そんな優しく豊かな感受性のある人間にもなりたいと思います。

2007年7月29日 (日)

人は仕事で磨かれる(丹羽宇一郎)

なんだか読む気は全くなかったのですが、強引に兄に勧められて読まされました。

が、結構面白かったです。

目先の富や名誉ではなく、Long Spanで自分の役割を判断して生きた方の自伝です。組織で上に立つ人間として大切なものは「気力体力知力と情熱であり、逆境でへこたれるような人間はトップにはなれない」と彼は言いますが、「もう一つ大切なことは弱いものの立場に立てる人間が大切だ」とありました。

本当に彼が言いたかったことはこの後ろの部分だと思います。弱いものの立場に立てる人間とはどういうことか。弱いものの傍に寄り添ってあげれる人間だと思うのです。
この本を私に勧めた兄は「向かい合って膝を突き合わせることが大切」と言いますが、私は実はちょっと違います(笑)

そっと同じ方向を見て同じ方向に向かって歩いてみることが大切なんだと思ってます。人って弱っている時に正面に座られて目線を近い位置に持ってこられたら結構緊張するような気がします。同じ目の高さになり、同じ方向、静かに語りかけることが大切な気がしますが、この本を読むと常に丹羽さんはそういったことを実践されているように感じます。

叱咤激励しながらも常に社員と向かい合うようで向かい合わず、同じ方向を見ながらマネージメントされた方なのではないでしょうか。

彼の本の中で繰り返し使う「目線を合わせる」という言葉は、目線の高さだけではなく視線の方向も合わせることも含んでいるような気がします。

「自分の人生なんてたかが知れてる。社長を辞めたらタダの小父さんだ。格好つけたってしょうがない。それが私の哲学です。」

般若心経の空かいな?アハハ、素敵な方です。

名人は危うきに学ぶ「極楽いぶかしくは」(白洲正子)

まだ懲りずに白洲正子です。

いやぁ、この人とんでもない。誰かから
「春の彼岸のころ、平等院鳳凰堂に朝日があたる瞬間は感動的な景色である」と聞いたら、何べんも平等院に通い詰めて、熱く感動して文章にしちゃってるよ。。。。

すっごい暇だ。しかしながらモノは暇の中からしか生まれない。

目の前にあるただ古びた建造物を前に悠久の時を越えて遠き昔の人々の思いに寄り添う。なんて感受性が凄く強い人なんでしょうか。

感受性が強い人間は受けたものを手や言葉を通して外に発信していかないと心のバランスがおかしくなるような気がします。

私は自分が感受性が強いか豊かかはよくわかりませんが「この体の中にある有り余ったエネルギーをどうにかしてくれー」と常に思ってきました。モノ心ついた頃から常に。長いこと苦しかったです。本当に苦しかったです。そのエネルギーは常に臆病な自尊心と尊大なる羞恥心によって、私の体の中に閉じ込められてきました。

今はどうせいつか死んじゃうんだもん、このあり溢れたエネルギーを少しずつ文字にして絵にして生きていきたい、と強く思います。生き恥さらして生きちゃおう!って思ってます。まずは「エネルギーをどうにかしてくれー」の他力本願から「エネルギーをどうやって放出するのか」そこを変換しました。まだ凄く最近に変換したばかり、コツコツと頑張りたいと思います。

それにしても、あぁ、白洲正子さんは本当に凄い。
ご自身の「暇っぷり」をここまで言っちゃうこの潔さがかっこよい。

2007年7月22日 (日)

高丘親王航海記(澁澤龍彦)

この本を10年ぶりに手にしました。

10年前も今も何も考えずにふっと手にしたまでです。

しかしながら、10年前とはまったく別の小説となって私の前に現れてくれました。
当時も色彩豊かで叙情溢れるすばらしい小説とは思ってました。でも32歳厄年を迎えた今、この本の奥行きが少し感じ取れるようになりました。シュールな笑いと生きることの悲しさとはかなさと温かさがゆっくり強く伝わってきます。

信じていたもの、信じ込んでいたものが消えた瞬間、人はどうして立ち上がるのかわからないことがあります。そして立ち上がっても、しばらく人生そのものが夢と現実を行き来するような不思議な時を過ごします。

澁澤龍彦氏は咽喉癌を抱えながらこの本を執筆したそうです。真珠を飲み込み声を失う主人公は澁澤氏そのものなのでしょう。

以下は主人公が美しい真珠を手中に入れて興奮している時に、彼の子分が主人公に進言するセリフです。

「病める貝の吐き出した美しい異物、それが真珠です。(途中省略)病気だから美しいのか、美しいから病気なのかはよく存じませぬが、この二つがどうやら相関関係を有しているのはまぎれもない事実のようで、私なんぞは女人であれ花卉であれ器物であれ、あまり美しいものを目にすると、つい警戒心をおこしてしまう。みこの掌の上の美しい真珠をみれば、これが将来、みこにわざわいをもたらすことになりはせぬかと、ついつい、要らざる心配をしてしまいます。」

当人は単純に目の前の小さな欲望を満たしたいだけなのに、傍から見ると、とてつもなく大きなものを失っていくように見えて心配でならない時ってあります。
当人だって「欲望を捨ててしまえ」とお釈迦様の心境になろうと無理やり心を閉じ込めると、とんでもないエネルギーを消耗し、全身が耳のようになり、何を信じていいのかわからなくなります。

こういうことは一つ一つ経験しなければわかりません。
私も偉そうな口を聞きながらわからないことだらけです。

何の縁か22歳の時にこの本を神田三省堂でたまたま手にしたことをとても嬉しく思います。10年前に出会ってわからなかったという事が今わかるということが嬉しいのです。

2007年7月17日 (火)

白洲正子自伝

白洲正子はSPUR等でよく取り上げられていたので、名前だけは知っていました。着物や日本文化の造詣に深いとんでもないパワフルおばあちゃん、という認識でした。

この本を読んで一番嬉しかったのは彼女の幼少時代です。

彼女は常に不機嫌な子供だったそうです。三歳になってもほとんど口を利かず、ひとりぼっちでいることを好み、年の離れた兄弟と両親に甘やかされて育ちます。同時に大人だらけの中で育つため、いつまでも一人前の扱いはされず、常に心に不満を溜めていたようです。生まれつき勝気で、負けず嫌いの性分でいつもひがんでいたとか。

以下は一部抜粋です。

「可愛いなどとお世辞にもいわれたことはなかったし、自分でも憎らしい子供だと思っていた。家に禿げの家扶がいて、何かのはずみで『お可愛らしいお嬢ちゃま』といった時は、怒り心頭に発し、無言で禿げ頭をめった打ちにしたことがある。そのつるりとした手応えを今も忘れてはいないが、私が生まれてはじめて口にした言葉は、『バカヤロウ』で、気に入らない医者が診察に来た時、ひと声叫んで布団を蹴って逃げ出したことを覚えている」

まさに私もそういう幼少時代でした。

今も忘れられない話があります。私、6、7歳頃でした。
伯母が伯母の友人A(男)とのドライブに私を同行させたことがありました。
Aはとても私をかわいがってくれました。
しかし私にはとても苦痛でした。途中でAが私を車から降ろして抱き上げようとした瞬間「クソジジイ、アッカンベー、あっちに行けー」と叫んでAを睨みつけました。

Aも伯母もそれは本当にビックリして、慌てたのを覚えています。伯母は「この子はもともと男性嫌いだから」と場をとりなしていました。私は確かに男嫌いでしたが、本当に嫌だったのは伯母でした。伯母は夫である伯父に対する態度と全然違う態度でAに接していました。伯母の女の一面を感じ取ったのだと思います。
私は伯母に対する怒りを上手に表現できず、Aに向けたのですね。

母に言わせると普段はとてもおとなしくニコリと笑うこともなく、病院の注射で泣いたこともなく、何をされても黙ってジッと耐えてたそうです。しかし、私のしでかすいたずらは3歳年上の兄とは違い、少し母としてはドキッとすることが多かったそうです。

私は自分のはいているパジャマのズボンをハサミでズタズタに切り裂いてみたり、社宅の白い壁をクレヨンで思いっきり絵を描いて自慢げに見せたり、幼稚園の時も一人でどこまでも歩いていき、道に迷って泣いた記憶もありません。大人に聞いて、道を教えてもらった記憶はあります。

私は人と違うとは思ったこともありません、ただ大人になるにつれ案外少ない子供の一人であったのか、と思うと同時に、こうして本を通して自分と同じような考えを持って生きていた人がいたということが知れて本当に嬉しかったです。

ま、世の中は誰も彼もが変わりモノなので、案外少ないということは案外多いと言うことでもあるかもしれませんが。

どのみち、白洲正子なんて昭和の生き地引みたいな人と比べようもないほどちっぽけな人生ですが、読んで共感できて嬉しかったです。

凡人最高。